ルパン三世 & something

ルパンを語って微笑みを届けたい  他にも気ままに綴ってます♡

三郎の君 from 落窪物語 part 1

平安時代の日本の古典に「落窪物語」というのがあって、これは、日本版シンデレラとも言われている。小学生の頃、「しあわせになったおひめさま」という本でこの話を読んだ。ほとんどひらがなの子供向きの本だったが、エッセンスが上手に入っていて、なかなかのインパクトがあったと記憶する。同時に、タイトルから期待したようなほんわかしたお姫様ばなしではなかったが、かえって面白いと思った。

例えば、落窪の君(おひめさま)が助け出された後、不遇な頃を詠んだ歌、
“明け暮れに憂きことみえし ます鏡 さすがに影ぞ恋しかりける”
などは、ひらがなながら註釈混じりでそのまま載っていたりして、まるっきり子供扱いした本ではなかった。


意地悪な後妻の「北の方」には、自分の連れ子(姫)が沢山いて、意地悪ぶりも 強めからまあまあ まで、落窪にとっては、いわば「小姑」までゴロゴロ!
但し、一番下には息子が一人いる。その「三郎の君」は、落窪に親切にしてもらったりしていて、子供の目でいつもその状況を率直に眺めていた、、。


落窪が助け出されて、もぬけの殻になった納屋を見て、北の方がわめいた時、

「お母様があまりにお辛く当たるので、天狗さまが連れて行ってしまわれたのかもしれませんよ。」

などと、母である北の方に、おっとり素直な感想を話せば、北の方は、(それが図星なので)プリプリして、

「子供は生意気なこと言うんじゃないよ!」

なんて怒っていたね。


三郎の君が成人した時は、落窪への母のいじめを恥ずかしく思い、嘆いてさえいた。
私は、幼心にも、三郎の君のいくつかのセリフに、この物語の救いを見出していたような。
落窪物語は、逆に、とことんリアリティを追究しているところが望ましい!

もちろん現代でも、四面楚歌みたいな状況にあっても、周囲に、実は冷静に見ている人が少なからずいるものだと思うな。


もし、本家「シンデレラ」にも意地悪なお姉さん達に弟がいたら、ワンチャン救いがあったかも知れぬ。

まあ、ストーリーとしては、中途半端な存在は無しで、黒白ハッキリしていた方が分かり易いっちゃ分かり易いし、どのみち気休めにしかならないんだけどね!

お笑い芸人 /「道化師」/「ハディスの涙」

「お笑い」の仕事をめざす人って、人に笑ってもらって喜びを感じるというサービス精神旺盛な愛すべき人達だと思う。
楽しいことが大好きな私は、息子達と一緒によくそういう番組を見たり、動画を紹介されて見ていて、お笑いの人たちのおかげ様に預かっているのだ!


ルパン三世」でも、特にルパンや銭形は、カッコイイだけでなくドジ踏んだりして私達の気持ちをよく和ませてくれるよネ。
エンターテイメントの真髄なんだろうけど、自分を「道化」にしてまでも人を楽しませることができる、、心映えがいいなあ!


「お笑い」にも「ルパン三世」にも、「ユーモア」と「ペーソス」、、この両方が、実はあるんだよね。
芸人さんもベテランの域になると、この「ペーソス」も併せ持つし、ルパン三世にも底流にペーソスが流れていると思っている。(ルパンのテーマ曲にもネ)


「悲劇を通り越して喜劇」とかその逆など、人の心は双方に多面的なんだろう。
彼らの感情や表現は、立体的だからこそ長く愛されている、そう思う。


ところで、西洋の道化師のメイクの中でも、“ピエロ” の場合には、顔に一粒の涙を描くらしい。
涙を描くことに深さがあると思う。人間の哀愁があるのだ。

オペラ「道化師」(レオンカヴァッロ作)は好きな作品だが、このCDジャケットには、確か“ピエロ”の頬に大粒の涙が一つ描かれていた。
世話物・愛憎劇のヴェリズモオペラの代表作だ。ピエロのメイクをした主人公が、いざ舞台へという時に歌う「衣装をつけろ」は、圧巻の名曲で、ピエロならずともこちらの涙も誘われる名場面だ。
パヴァロッティは、この歌の歌い終わりが嗚咽につながる熱演で、この時の東京公演は語り継がれる名演となっている。


そして、涙と言えばpart3に「ハディスの涙」という作品があり、「お宝」とされたダイヤモンドの涙が、彫像のハディスの顔に嵌め込まれている。
「ピエロ」の涙を思わせるような、、。


ハディスとは冥界の神の異名だが、この神の涙の意味は、一体何なのでしょう?

シャネル5番 from「ルパンはシャネルがお好き」


アロマハーブの本を眺めていると、「イランイラン( ylang ylang)」には「官能的」などと香りの形容詞がついていることに気づいて、これを少し調べてみた。イランイランは花から抽出するタイプの香料で、あのシャネル5番にも使われていることがわかった。シャネル5番には、この他に、ジャスミンなどの花も、、。

ただ、驚いたのは、あのいい香りには、かなり多くのアルデヒドが使われていたことだ。いい香りに仕上げるためには、天然の香料(原液)だけではむしろダメで、研究室の化学物質との絶妙な調合によるらしいね。
そこが調合師の “研究” の賜物なのだ。


シャネル5番もパルファムとなるとかなり “高価” だが、その “高価” の主な要因は天然の素材からくるものだと、私は思い込んでいた。なのに、その成分の多くが人工の化学物質だったとは!
なるべく化学肥料を施さない有機野菜の方がお高めという普段の生活感覚を、私はうっかり、この手のものにも当てはめてしまっていた。
考えてみれば、シャネル5番のようなジャンルのものは、その“高価”の中身は単純ではないからね。広告費、はたまたヴェブレン効果も含まれているかもしれないのだから。
スーパーでの買い物感覚とは違っていて当然だったw

この香水のアルデヒドについて、理系の方の息子に話してみたら、刑事ものなどのドラマで、気絶させたりする犯罪シーンに出ててくる布に含ませているモノは、ホルムアルデヒドらしい。アルデヒドの用途も色々あるんだね。


ルパン三世」のpart2「ルパンはシャネルがお好き」に出てくる ”ジム弁慶“ の正体を、ルパンが見抜いたのは、「シャネル5番」の残り香だった。
さすがフランス人の血を引くルパンらしい?!


ところで、「ルパンはシャネルがお好き」のタイトルは、「寝る時に身につけるのはシャネル5番だけ」と言って話題になったマリリン・モンローの主演映画の邦題「お熱いのがお好き」に掛けていると思われる。

「シャネル5番」繋がりでこのタイトルになったのだろう。


ルパン三世」は、色々と「ひねり」が効いているところも、好きだ♡

悪役や監督業について思うこと


悪(ワル)と監督を同列に並べたら、監督さんに申し訳ない感じがするけど、この真意は、こうです!

ドラマや作品における悪役や、スポーツチームなどの監督は、とてもやりがいのある仕事なのではないかということ!
どちらも、(実力プラス)経験がモノを言う感じがする。
そして、悪役が上手だったり監督の采配がいいと、いい結果がついてくるよね?


まず、悪役ついて
普通、ドラマなら主役、、王子様やお姫様役などが人気。だからか、最近の幼稚園では同じ舞台に、王子役3人なんて配役がある位だ。(直面した時ビックリしたけど!)
ただ、歳を重ねていくと、悪役の上手さが作品の出来を左右することに気づいてきて、例えばもし自分が演じる側だったとしたら、段々こっちの方をやってみたくなるまである、、魔女とかネ?!
悪役には、より演技力や深みが要求されて、これが決まると嬉しいのではないか?
ルパン三世」でも、悪役が憎いほど強かったり、逆に、なんか憎めぬ愛嬌があったりすると、楽しいものだ。
作画班だけでなく、声優さんたちも腕が鳴るところだろう。


次に、監督について
例えばサッカー等では、ストライカーとかの目立つポジションや有能な選手に注目が集まるものだが、こちらも、育てる楽しさ(むずかしさもあるが)に気づくようになってきて、それで自分を試してみたいという気持ちが湧いて来ると思う。
私は育児経験の影響からか次第に、裏方の苦労や面白さに注目するようになっていった。
例えばワールドカップを見る場合も、各国の選手達だけでなく、各監督のカードの切り方やゲームの運び方に、近年ますます興味が湧いてきている。
心情を思いやったりもすると、ドラマを感じるネ!


ルパン三世」のような私にとっての好きなジャンルの場合、ルパンファミリーだけでなく、”悪役”や他のキャラ、そして製作スタッフにまで興味を広げていくと、作品を多面的に味わえて、より楽しみが増している♡

玉鬘(たまかずら)と髭黒(ひげくろ)の大将 from「源氏物語」

前回の「源氏物語」の流れで、気になる登場人物について少々、、。

夕顔の忘れ形見の美女、玉鬘は、数奇な運命の女(ひと)。4歳から成人で帰京するまでは九州で育つ。
自らは雅び(宮廷風に風雅)な光源氏は、玉鬘を引き受けることに決めた時、「玉鬘が鄙(ひな)びていたら(田舎風だったら)どうしよう」なんて心配している。配慮が万事パーフェクトなはずの光源氏にも、ソウイウとこあるんだよねえ、困ったもんです!
でも、彼の危惧に反して、玉鬘は魅力的な女性だったので、今度は彼女に言い寄ってみたり、、ったくもう‼︎


それはそうと、サブタイトルをじっと眺めて、気づいたことありませんでしょうか?玉鬘の鬘と髭黒の髭は、漢字のかんむりの部分が一緒。源氏物語の年表を眺めていて、これに気付きました。
帰京後の玉鬘ちゃんはモテモテで、言い寄る人が多かった。当時の読者は恋の行方を楽しみにしていただろうが、紫式部はちゃんと伏線を敷いていたんだネ、ここを結びつけようと!
式部は、人前で真名(漢字)を書くことを嫌ってはいたが、父親の影響もあって漢籍にはかなり通じていたので、作家ならではの密かな遊びをしたのかもしれない と思う。


戻ると、
むくつけき(無骨な)髭黒は愛しの玉鬘に会う際に、小さな香炉をもう自分の袖に入れてしまってジャンジャン香を焚き染めた。むせぶ様な香りに、可愛らしさと一生懸命さが見えるので、結果的に彼と縁付くことは玉鬘にとっても幸せだった というのは本当だろう。
紫式部は、苦労人玉鬘に意外な形で褒美を与えたか?ただし、髭黒亡き後、玉鬘には、立ち位置とまつわるそれなりの苦労がなおも続くので、紫式部という人は、「源氏物語」において登場人物に誰一人、絶対的な心の安らぎというものは与えないのだ!


彼女は冷徹なリアリストか?サディストか?!

嘘を描きたくない紫式部は、世の中というものを透徹して観ていたんだね。

五ヱ門の退廃美 from「五右ェ門危機一髪」


キャッチーなサブタイトルなのだが、拷問などで傷ついていく五ヱ門に萌えるファンが一定数いることを承知している!

作品では、「五右ェ門危機一髪」などはモロそれに当たる。この作品は特に人気が高いみたいね。それに、テレスペなどでもお目にかかることがある。次元やルパンも傷つけられるシーンがあるが、その種のものとしては、どうやら五ヱ門の方が人気があるようなのだ。

一種の退廃の美学とでも言えるだろうか?私はいくつになってもお子ちゃまなのか、この種の魅力はあまりよくわからない。痛そうだし、むしろ苦手なくらい。私ももう少し「オトナ」だったら良かったな!
だけど、魅力を感じる人の気持ち・・「ナゼそうなるのか?」の方には、とても興味がある。


古典「源氏物語」では、喪服姿や悲しみ、病にやつれた様子が、「なまめく」(優美である、色っぽい)と描いてあるようで、どうやら衰弱に美を見出す感覚が、紫式部にもあったらしいのだ。ある説明によると、例えば「宇治の中の君」についての描写では、身辺の悩みに遭って「匂い(にほひ)多い」様が消されて、上品な「なまめかし」さが残った彼女の、面痩せした容貌をそのように表しているらしい。ん〜オトナだ!
解説を聞けば、何とかこの辺りまではギリ解るかな?
まずはこの辺から紐解いていくとするか、、。


男女の機微や人の心理描写に長けた紫式部ならではだなぁ。


現代でも、心理学などを研究している人には、人が退廃に美を見出すようになるメカニズムがわかっているのかもしれない。知りたいと思っても、素人がググった程度では、なかなか納得のいく説明に出会ったことがない。だからせめて、色々な情報を集めている段階だ。

私の中では、このテーマは未だ懸案事項である!

社員食堂「小鉢の女王!」


昔、社員食堂で、自分の舌が肥えてる自慢だろうか?社食を「不味い不味い」と言う、同僚のボス格の女性とその取り巻きがいた。お昼時、食堂でよくその話題が上り、困ったものだった。限られた予算と食材の中で、何も不味くしようとして作る人もいないだろうに、、社食をネタに、ソレ主張しなくても、、と私は閉口していた。「ハイハイわかりました!あなたは、高価なものしか口に合わないのネ」と。
その場で反論しないまでも、私は副菜の小鉢を2つ3つ追加で取って、お盆に並べていた。実際、美味しかったし、栄養もさらに拡充ってことで実行あるのみ!いつしか小鉢担当のスタッフと顔見知りになっていて、いつもニコニコしてもらっていたし、自分のことを心の中で「小鉢の女王」と呼んでいた!
社食の悪口を言う人への小さな抵抗でもあったろう。
お互いまだ青かったからネ!

男性社員達と一緒に食事する時には、その手の批判めいた話題は出たことはなかった。私は、女子にはありがちなそういうところが(自分は女子なのに)、昔から少し苦手だった。もちろん、これに当てはまらない男子や女子はいると思うが、、。


学生の頃、小教室で語学の授業中、男子同士で「これ終わったら、行くぞ」って背中を突いて4人面子を揃えていたのを周囲に見かけると、「あ、雀荘だな」と、男子特有の阿吽の呼吸がちょっぴり羨ましかった。

時が経って、ルパン 次元 五ヱ門の会話や人間関係に羨望に近いものを感じるのは、どちらかと言えば私は、女子より男子の言動に憧れが強いかららしい。
ルパン三世」が好きなワケの底流にソレがある。
彼らのそんなやり取りをただ眺めていたい みたいなところがある。

よく世の男性達が
「女性達よ、男に永遠の夢を見させてくれ。」
なんて都合のいいこと言ってるけど、その逆も言いたいな!
結局、今日のイイタイコトはソレだ〜!