平安時代の日本の古典に「落窪物語」というのがあって、これは、日本版シンデレラとも言われている。小学生の頃、「しあわせになったおひめさま」という本でこの話を読んだ。ほとんどひらがなの子供向きの本だったが、エッセンスが上手に入っていて、なかなかのインパクトがあったと記憶する。同時に、タイトルから期待したようなほんわかしたお姫様ばなしではなかったが、かえって面白いと思った。
例えば、落窪の君(おひめさま)が助け出された後、不遇な頃を詠んだ歌、
“明け暮れに憂きことみえし ます鏡 さすがに影ぞ恋しかりける”
などは、ひらがなながら註釈混じりでそのまま載っていたりして、まるっきり子供扱いした本ではなかった。
意地悪な後妻の「北の方」には、自分の連れ子(姫)が沢山いて、意地悪ぶりも 強めからまあまあ まで、落窪にとっては、いわば「小姑」までゴロゴロ!
但し、一番下には息子が一人いる。その「三郎の君」は、落窪に親切にしてもらったりしていて、子供の目でいつもその状況を率直に眺めていた、、。
落窪が助け出されて、もぬけの殻になった納屋を見て、北の方がわめいた時、
「お母様があまりにお辛く当たるので、天狗さまが連れて行ってしまわれたのかもしれませんよ。」
などと、母である北の方に、おっとり素直な感想を話せば、北の方は、(それが図星なので)プリプリして、
「子供は生意気なこと言うんじゃないよ!」
なんて怒っていたね。
三郎の君が成人した時は、落窪への母のいじめを恥ずかしく思い、嘆いてさえいた。
私は、幼心にも、三郎の君のいくつかのセリフに、この物語の救いを見出していたような。
落窪物語は、逆に、とことんリアリティを追究しているところが望ましい!
もちろん現代でも、四面楚歌みたいな状況にあっても、周囲に、実は冷静に見ている人が少なからずいるものだと思うな。
もし、本家「シンデレラ」にも意地悪なお姉さん達に弟がいたら、ワンチャン救いがあったかも知れぬ。
まあ、ストーリーとしては、中途半端な存在は無しで、黒白ハッキリしていた方が分かり易いっちゃ分かり易いし、どのみち気休めにしかならないんだけどね!