「ルパン三世」を、もしもナナメから見る人がいたら、
そもそも家業がドロボーということ、斬鉄剣が一太刀でビルをも切れちゃうこと、ルパンやゼニが(逃走や捕獲の為の)大きな装置を何故かその場でこしらえること、、などをマイナスに指摘するかもしれない。
でも私は、これらは全て、イイタイコトをダイナミックに伝える為の「仕掛け」だと解釈している。「常識的」とか「倫理的」とかいう枠をはめると、こじんまりして、面白みやエンターテインメント性に制限がかかる。説得力まで弱くなってしまう。敢えて、お行儀は宜しくない「ルパンファミリー」がいいと私が思うのも、そこに通じている!
音楽もそうで、作曲の大野雄二さんは、テーマ曲の演奏に敢えて破格な奏法をOKとしたそうだ。その方が、自由なルパンらしいから。管楽器など、時に音が上振れたりして型にはまらず、派手に自由に吹いていて、それ程に「勢い」の方を大切にしているのだ。だからこそ、’本質’ が受け取り易くなっている。
付け加えれば、キャラクターデザインがシリーズごとに違ったりしても、私はあまり気にならない。その作品の言いたいことは何か、そのキャラの心は何を語るのかを観たいからだ。そこに、より興味がある。
関わったスタッフさん達が情熱を傾けて作った作品で、何を伝えたかったのか、どう楽しませようとしたのか、その本質(エッセンス)をしっかりと受け止めたいといつも思う。
「ルパン三世」の楽しみを、そこに見ている。もちろんこれからも!