ルパン三世 & something

ルパンを語って微笑みを届けたい  他にも気ままに綴ってます♡

家康が切り拓いた江戸東京の「〜橋」という地名!

徳川家康が江戸の地を切り拓いた頃から、ここはまず水運の街となった。
幕府を開いた後は代々、天下普請で各大名に費用と人足を出させて、市中に堀を巡らす。
江戸は広域が沼だったことや急激に人口も増えていったことから、土地の整備とともに、物資運搬、木材運搬、諸々に、陸の道ではなく水路を利用しようと考えたのは、当時の科学技術からいったら合理的だったのね。

地図を見ると、例えば、江戸市中から隅田川(下流域は大川とも呼ぶ)を越えた“深川“などにも「堀」がたくさん巡らされていることに気づく。材木を置く「木場」が沢山あったからね。


私は初めて行く場所で、(地図好きなくせに情けなくも実践に活かされず)、だいたい45度くらい回転して方向をとらえてしまう「癖」があって、迷い込むことが多い。一度なんか、結局大きく一回転したことも!
また、東京は坂も多いので、これが思わぬ伏兵となる。
いよいよとなったら、降参してスマホを見るのだw
でも、街探訪が好きなのか、グルグル歩いてしまうのをどこか楽しんでいるフシがあると自己分析している。


ある時、目的のビル名に常盤橋とあるのにその近くがなぜか「江戸橋交差点」となっていて混乱した。
「ときわばし」は、「常盤橋」「常磐橋」として現在も日本橋川に掛かって大小2つもあることが、後で判った。
要は、橋名は氾濫していて、探す時の手がかりにしてはかえって混乱するのだ!

さらに、東京都心部の川は、既に埋め立てられたり暗渠になっていたりしている場合が多く、交差点や地名にのみ「〜橋」が残っていることが多い。
所によっては、川も見えないのに至近距離で、橋、橋、言ってるよ!
よく見れば、付近の古くからあるビル名等だけに、その痕跡が見られることも。
 
池波正太郎さんの「江戸切絵図散歩」を読みながら、地名を現代地図帳と照らし合わせるとその辺を実感するが、地名変更などでその「照らし合わせ」さえ難しいことがしばしばだ。


「橋」以外の地名に、「川」はもちろん「堀」「洲」「江」、“溜池*、中洲由来で「島」なども見かける。
特に沿岸部や川縁には、水関連の地名をまだ多く見つけることができるよ。

たまには江戸時代なんかに想いを馳せつつ、そんなことに気づいてみるのも面白い?かも!