今でも名作と誉れ高い大河ドラマ「国盗り物語」の中で、戦国時代、「美濃のまむし」斎藤道三が、「尾張のうつけ者」織田信長に、(もちろん政略結婚で)娘の濃姫を嫁がせる時、九寸五分の懐剣を渡してこう言った。
「もしものことがあったら、この短剣であのうつけを刺せ」
「父上、私はこれで、父上を刺すことになるかもしれません」
「(ワハハ) よく言った。それでこそわしの娘だ!」
道三(平幹二朗さん)、濃姫(松坂慶子さん)、信長(高橋英樹さん)という豪華キャストによる見応えのある作品で、このシーンのこの会話は小学生だった私にも、しっかりと印象に残ったものだ。特に、松坂慶子さんが、目をキラキラさせて、キッパリとこう言い切ったのがステキでカッコよくてね♡
さて、サッカークラブのアーセナルには、
Once a Gunner, always a Gunner.
こんな言葉がある。Gunner とはアーセナルの選手を指す。初めて聞いた時は、なんて素敵な言葉だろうと思った。そしてこれは選手とファンの絆を表す言葉でもある。
ただ、ファンとして毎年選手の去就に接するようになって、これは主に送り出すファン側、、アポリネールの『ミラボー橋』風に言えば「私は留まる ( je demeure)」側の心持ちに、より必要な言葉みたいだ と思うようになっている。
去り行く選手との色々な思い出を感謝に変えて、「私はあなたをいつまでも忘れない」と。もちろん願わくば「アーセナルのこと、忘れないでね」の心情もある。
しかし、「忘れないはずだ」とか「忘れるなよ」まで行ったら、それは違うかな。
彼らの多くは次なる所属クラブで早速、物理的に忙しいし新たなる希望に燃えている。そんな彼らを見る元ファンは、ちょっぴり複雑な思いに耐えねばならぬ!「私は留まる」側って動きがない分、心の整理が大変なものだw
だが、選手にはむしろ後ろを振り返らず、次なる「今、今」に全力投球して、アーセナルで培った諸々を活かしてくれたらそれで十分だ。
又、これはアーセナルのファンと選手に限ったことではなく、どこのクラブでも、共に思い出を重ねてきた選手との別れの時節には言えることだろう。
現代では、子育てを終え社会人となって巣立って行く子供達を見送る母親達は、軽く「空の巣症候群」にかかると言われており、私の友人も「そうだった」と話してくれた。「私は留まる」側にぽっかりと空く穴は、上述の場合と同じだが、ここは送り出す方もキッパリと切ってあげるのが、相手も身軽になれてより羽ばたきやすいのではないか?
「別れ」には色々な感情が湧き、それまでの苦楽の思い出、感謝、、色々あるが、一片の厳しさと寂しさ、凛々しさも内包していると思う。
だから、古来、別れとは辛いのだ!
過去何人もの選手がそうだったように、特に同じリーグのクラブへ移籍していく場合は、即、敵味方となっていくわけで、むしろ濃姫のような気概でいてくれたら頼もしい と私は思うかな!?
なお、去り行く人側のそれぞれの個性も含め、百人百様の考え方があって当然だと思う。以上のことは、濃姫のセリフを借りて論立てた私の一意見であることをご了承ください!