「(日本橋に進出するなら、) 店(みせ)ではなく「たな」。俺ではなく私。」
と言葉遣いの修正を、おていさんから指摘された蔦重!
その直後、ドラマではこの2人のカットから吉原の花魁誰袖と田沼意知 2人のシーンに切り替わる。ここで意知は初めて誰袖に思いを打ち明けるのだが、そのセリフの中で彼は、「私(わたくし)は、、」と言っており、今さっき、おていさんが言ったばかりの言葉遣いを、こちらではスンナリと使っていたのが印象的だった。暗にここは、そうした対比の演出にしたと思う。
田沼意次の御曹司でもある意知は、当然、そのような言葉遣いで育った人だった。
でもその後、おていさんが「身を引く」と言って駆け込もうとしたお寺の門前で、もう一度正式なプロポーズをした蔦重は、本心を吐露するあまり、また全部「俺」に戻っていたw これはこれで返ってリアリティがあったな♡ おていさんの心にしっかりと響いた。
再度視聴した時に気づいたのだが、敢えてここは「俺」にしたんだね!
女心がわかる脚本がニクイ‼︎
今後蔦重は、自分のエネルギーを形成した過去でもある「俺」を内包しつつ、日本橋などとの付き合いでは「私」を使っていくのだろうね。ドラマで見せる風間俊介さん演じる老舗「鶴屋」や界隈の商売人達の「日本橋の矜持」も、歴史と伝統に基づくものだけに、やはり素敵だなあと感じる。ドラマの最初の方で、吉原とはどこか一線を引く行動を取っていた鶴屋さんの心象が、ここに来てやっと解ったような気がしたw
〈ここからネタバレ〉
隠せない品の良さが漂う「わたくし」意知は、その脇の甘さゆえもあって「あんなこと」になってしまい、、皮肉なことである。
残された誰袖の思いは如何に? なのだが、、
「本物の恋愛禁止」という掟が吉原のような遊郭にはあったそうで、「騙し騙されの世界」、、うたかたの恋を生きねばならなかった定めの遊女にとって、人生の中でほんのひとときでも2人で気持ちを通わせた幸福な経験があったということは、せめてもの慰めだったかもしれない。
そうとでも思わないとやってられない、むしろ視聴者にとっての慰めか!?
また、誰袖には知るよしもないのだが、蔦重にとっては瀬川、意知にとっては源内に対して報いてやれなかった過去の思いが、誰袖の身請けを実現させるまでの原動力の一つとなって誰袖自身の努力の上に集結したことは、彼女の幸運の証と言えるのかもしれない? 身請け実現時点までは。
、、などと納得の道を色々と模索中!