ハリポタに登場する圧倒的なヴィラン、ヴォルデモートの特徴の一つに、実は饒舌家というところがあると思っている。自信家でエゴが強い人なのでそうなりがちなのかもしれないが。全巻を通してたびたび出てくるヴォルの演説部分は、面白い!
(以下、多少ネタバレあり)
第2巻『秘密の部屋』ラストで、トムリドル(若き日のヴォルデモートのこと:本名)とハリーポッターが対峙するところがある。
ハリーの持つ力に対して、リドルは彼なりに疑問に思うところがあった。そもそもハリーが赤ちゃんの時や第1巻ラストでも、ヴォルの杖から生き延びたのは、「ハリー自身に(知られざる)魔法力があるためなのか?」という恐れがあったのだ。だが、ハリーとの対話によって、特段隠し技があったわけでは無いと判り、リドルなりに安堵するのだった!
さて、その対話の途中でリドルのセリフの中に、ハリーと自分の類似点を挙げつらっていくところがある。また、本作のラストで、ダンブルドア校長がサラザール・スリザリンの資質を挙げていくところがある。
奇しくも、その両方がハリーに当てはまるのだが、 もちろん、ハリーにとっては不快だw
そこで、ハリーと自分との共通点をリドルが言うには、、
蛇語を話せるとか半純血であるとか孤児であることとか、、その最後に、
「見た目もどこか似ている、、。」
というくだりがあって、目が留まってしまった!
一応説明しておくと、若き日のトムリドルは ‘ハンサム’ であることも公然の長所の一つで、自身でもそれを自覚している。さらにこれも自覚していることだが、スマートな物言いも併せ、それらを武器に、分霊箱にするにふさわしい宝を持つご婦人に近寄って、彼女を亡き者にしたことすらあるくらいなのだ!
一方で原作では、ハリーについてそこまでハンサムだという記述はない筈なのだが‼︎ (映画ではたいそう可愛いけれどね)
リドルがハリーとの数々の条件的な類似点を挙げるのはそれとして、「褒め言葉」とも取れる評価語をなぜ最後にわざわざ付け足したのか?
よくそこも認めたなw
リドルはなぜにそう言う気になった??
しかも言った後、「、、。」という風に「間」が開いている。
ちなみに、原書でここの箇所は、
“We even look something alike….”
意図を、作者JKローリングさんに聞いてみたいところだ、、
本作の途中では、リドルは彼自身の日記を通じ、ハリーのことが好きな少女ジニーとやり取りをしていた。ジニーはハリーに対する恋の悩みを日記にうちあけて、リドルは(日記を信頼させるために)その中で、不本意ながらもお得意の丁寧さで、彼女に向き合ってあげていたのだ!
そこから類推するに、一つには、少なくともハリーは女子にモテる?ということを知ったリドルが、ハリーに対して上方補正をしたのか?
それとも、オレ様に色々似ているのだから、自分のプライドからそこも自分に寄せることにした!?
or 作家のユーモアか??
そんなことくらいしか私には理由が思いつかないのだが、どうやらリドルも面白いところがあるようだw 少なくともずいぶん真面目に分析しているねぇ!
だが、リドルもまあまあ世俗的というか若いというか‼︎
この付け足しのくだり “だけ“ は、リドルを少し可愛く思えたのであったww
さて、ジニーの恋の悩みにしても、ハリーの母親の「子に対する愛の護り」にしても、そういうことは全く軽んじているリドルなのだが、ハリーとの対話の中で知ろうとした一番恐れるべきハリーの強さの秘密とは、実はその「血に流れる護りの力」だったのだ!
ダンブルドアがハリーを伯母の家に預ける選択をした根拠もそうだ。
それは、ダンブルドアが重視する「古くからの魔法」の一つである。
だがそれだけは、リドルは解ろうともしなかった。