世界史の授業で、「ハンニバルという武将が象を連れてアルプスを越え、今でいうイタリア(古代ローマ)の領内に攻め入った」という異色の話は、印象に残っている人が多いと思う。
実際「ハンニバル 象 アルプス越え」の3点セット以外は、私の記憶にはあまり無かったw
なんだか凄いな〜なんてお気楽な気持ちで、これを描く映画『ガーディアン ハンニバル戦記』をhulu で見かけたので視聴してみた。
するとこれは確実に、見ると聞くとは大違いの事象の一つであった。
この遠征はやはり無謀だし、聞きしに勝る悲惨さだ。
[注: ここでは、最小限の知識で教養を! をモットーに書いていきます。なので、例えば戦争名の第一次とか二次とか細かいことは全部省きますね]
さて時代はと言うと、お馴染み「シーザー(=カエサル)」以前の「古代ローマ」という、ローマ帝国が成立していく過程の頃だ ということをまず押さえよう。
そしてこれは「紀元前」、、そんな古い昔の出来事だ!
北アフリカ カルタゴの将軍ハンニバルは、ローマをまともに攻めてはムリということで、普通、考えもしないアルプス山脈側から、多分威嚇のためもあって「戦象」という戦いの訓練をされた象を40頭ほど引き連れて進軍した。
絵的にはここがやはり最も圧巻だ!
ただし映画を見ると、カルタゴ領 ‘カルタゴ・ノヴァ’ (=今でいうスペインのカルタヘナ)から出立し、まず地中海沿いにアルプスまでの遠征途中でさえ、土地の部族と同盟を結んだかと思えば裏切りにあったり、味方の兵士は脱走したりで、まずそこまでも、もう大変だった!
そしてモンダイのアルプス越えでは、初冬で雪が舞い、食料や燃料は尽き、寒さを知らない軽装の兵士たちが毎日1000人以上も死んでいく。雪山の崖崩れで道が塞がると、なけなしの飲料ワインを薪にかけ火をつけて発破し、前進する。頼みの象も死んだり弱ったりでガリガリとなり、もう威嚇なんてもんでは無くなった!でも、もう引き返すことは出来ない。
これが実際だった。
ここまでで7ヶ月、約7万人の兵士を脱走や餓死で失った。
やっと越えて何とか平地に入り、そのまま進軍できたのが不思議なくらいだ!
ハンニバル自身も戦禍を負って隻眼となる。
そして、「カンネーの戦い」という局地戦では勝利した。
が、結果的には一気呵成に本拠地ローマに攻め入らなかったことが、後の敗北につながったという、、。
さて、ローマ側の大将 ‘小スキピオ(父、大スキピオの息子)‘ は、ハンニバルの「いいとこ悪いとこ」を、この間しっかり学び吸収した(←映画内でのスキピオ本人談)。そして10数年後、カルタゴ近くの「ザマの戦い」で、その成果を発揮してローマ側が勝利した。これら一連をポエニ戦争という。
その後ハンニバルは落ち延びた先のトルコに潜伏したが、19年後に攻められ、いざという時の為に携行していた毒を仰いで果てた。
敵から色々学んだ将軍スキピオにとどまらず、ハンニバルの残したと言われる言葉や戦略は、多くの「長」という立場の人に現在でも参考にされているという。
実際の戦争は大嫌いだが、スポーツの試合の監督さん等にとっても「相手から、即、学ぶ!」などなど、ヒントになることがあるような気がしている!