今年(‘24)の大河ドラマ「光る君へ」で初めて知ったことは、藤原道長という人の権力の成立条件だった。
道長は藤原北家の三男坊(正妻の内では!)で、彼は生まれながらの後継ぎ第一候補ではなかったことと、結婚はいわゆる逆玉(の輿)で財力他モロモロのバックアップを得たのも権力の掌握につながった ということだ!
日本史や古典の授業で知る限り、そういうことは語られないので、「道長は、ただただ強かった人」という漠とした印象しかなかった。アレキサンダー大王とかナポレオンみたいな!
「光る君へ」では、脚本家の大石さんが恋愛ものが特にお得意とあって、道長と紫式部との触れ合いを織り込んでいったオリジナル要素も含め道長像が構築された部分もある。が、その部分を除いた上述のような単なる史実からくる条件のみ眺めてみても、「はは〜ん、なるほどー!」と推し量られるところがあり、彼はむしろ調整型の人だったように感じる。
ドラマで描かれただけの様子を見ても、その一端がうかがい知れた!
又、あの有名な「この世をば我が世とぞ思ふ、、」の和歌の背景である ‘后がね’ の娘たちを作品に登場させることによって、あの和歌の裏で、彼女たちの諦観とも無表情とも言える仏頂面を見せられて、道長の娘といえど政治の道具に過ぎず果たして彼女たちは幸せだったかどうか? まで推量するに及んだことはなかったなあ と初めて気づいた。
さらに、あの世界、父親が早く亡くなることで後ろ盾を失うと状況がガラリと変わることがあるという権力闘争も凄まじかった。これは、歌舞伎などの伝統芸能では最近までも例にあった位なので、当時の貴族社会ならばなお当たり前だったのか!?
だがこのことも、この度まざまざと見せつけられて気づいた点だった、、
和歌などを詠み合って、十二単を着て、源氏物語さながらの恋をして、、などという従来から持つ優雅なイメージの一方で、呪詛も満載!エグい人間関係などなど、繰り広がる光と闇を映像で示されて大変興味深く、以上のような生きづらさの数々は、実際に見るとなかなかのものだった、、
ただ現実問題、この時代のトイレ事情を思ったら、それだけでも(たとえ貴族社会に縁あったとしても)生まれたくない時代だなあ というのが、案外一番リアルな感想である‼︎