ルパン三世 & something

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橋の幅  from ブラタモリ 東海道五十七次の旅 ③/3

番組中、江戸時代の枚方宿(ひらかたじゅく)の様子を表す絵が映った。
すると、道幅に比して橋が小さい!

橋の幅は道の幅にあらず

こんな現象はここ枚方橋(ひらかたばし)に限らず、昔は全国でこんな調子だったと思うが、私が初めてそのことに気づいたのが今回のこの絵からだったのだ。


そう言えば、江戸時代の橋は軍事戦略上も、「どうぞお通りください」ではなくて、むしろ「やっと通してあげる」的なものだったw 小さければ経費も少なくて済むし、為政者(幕府)にとっては良いことづくめなのだ。

山手線の新駅「高輪ゲートウェイ」の命名の由来となった江戸品川に在った「大木戸」は、大政奉還の時、天皇の鳳輦が通ろうとしたら幅が足りず、火消しの「め組」が両脇の一部を削って通したそうな!
橋に関わらず、要衝は何かと敢えて狭く作っていたのだ。
西郷軍により江戸城総攻撃か?の直前、勝海舟がいざとなったら「火消し」役に「火付け」を頼んでいた相手も「め組」なので、当時の「め組」の働きぶりと信頼は厚かったと見える♡


また、多摩川など、そもそも橋をかけなかった川もある。
立派な橋を敢えて掛けないのは、①大挙して謀反の兵が来れないようにするため②渡し舟業者や人足達に仕事を与え、水嵩が増して通れなくなれば近辺の宿場町が儲かるという仕組みを作った というのは、割と有名な話だ。
江戸幕府が終わった時は、この理由も崩れ、大量の人足夫が失業したとも聞いている。

橋のありようも時代によって様々なんだね。


橋つながりで、番組中、最後の五十七次目の「淀宿」のところでは、「宿(しゅく)」の「思惑」の一つとして、水上マーケット「くらわんか舟」の話が出た。
街道は淀川と並行して通っていたため、岸辺の店に客を呼んだり水上まで出向いて売ったりしたという。
「くらわんか舟」の代表的な商品は、「ごんぼ汁」。
ごぼうに油揚げ、オカラなどが入っていて、なかなかヘルシーで身体には良さそうだった。


三夜連続で、期待通り興味深い内容だったブラタモリ
次作をいつかまた、楽しみに待つ♡