生きていれば、一生のうちに「濡れ衣(ぬれぎぬ)を着せられる」経験をしてしまうことがある。もちろん、そんな経験など無い方がいいし、そういう元々恵まれた、きっと徳の高い方もいらっしゃるようですが!
その「濡れ衣」について、例によって冷静に分析してみたら、被害は幾つかの段階に分かれた。
最悪は、それによって命を落とす。次は、財産や資産の一部が失われる。一番マシなのは、不愉快なことだが精神的不快だけで済むことだ!
お恥ずかしながら、私も一回経験してしまったw
だが幸いなことに、上述の内、一番マシなパターンだった。
経験したからこそこんなことを考えるキッカケになったわけだし、そんな稀な経験もこの人生を吉凶相成す彩ることになったかな と思える境地に今はなっている。カッコつければ、生の充足!というところかなw プラス思考でしょ!?
さて、そのような思わぬもらい事故が起きた時の対処法。(私の場合を元に)
まずは、「罪を憎んで人を憎まず」をしっかり叩き込む!
→これは単なる偽善ではなく、怒りや憎しみで自分の精神状況を悪化させないための最善策でもある!
次に、なぜそんな事を「発起人」が起こそうとしたのか?を考える。
すると、その人のギリギリの心境(心の苦境)等々が読めてきたりする。
そして、自分の濡れ衣は経済的損失までには及ばなかったことを、まだ良かった方だなと思うようにする。
以上のサイクルを何回か回すうちに、時間があなたを癒すでしょう!
そうね、一回回すくらいじゃ、ダメかもねww
もちろん、高僧のような物事達観出来てる人は、最初から人を憎まず哀れみ悲しみ、その人のために合掌することでしょう‼︎
私の場合も、最後には、「人間とは悲しいサガだな」という境地に落ち着けることが出来ました!
本来憎むべき相手を、「(自分を含めた)人間全般」への悲しみに敷衍してしまうことで、自分の学びや成長にも変えられる ということだ。
転んでもタダでは起きぬ とはこういうことなのではないでしょうか!?
さて、大河ドラマ「光る君へ」では、道長サイドに対する呪詛シーンが頻繁に起きる。ドラマでは、陰陽道の道士よる演技指導で呪詛の呪文を無難な文言に変えた と聞いている。呪詛が演者に返ってこないように なんだって!怖いですね‼︎
まあ、道長の場合は濡れ衣を受けたとは言い難い罪深い原因が、本人にもあるようだけどw
第38回ラストシーンで、藤原伊周(これちか)が呪詛の紙を道長にぶち撒き、それを中庭(壺)を挟んだあちら側から藤式部(紫式部)が見かける、、道長と藤式部が遠くで見つめ合い、彼女は涙ぐむ、、
というのがあった。この時の「涙」の解釈は既に諸説あるようだ。
ドラマの見方は見る人の自由!
闇堕ちした道長に対して悲しむ涙という解釈もある。
あくまで私見では、そこをもう一歩進めて、、
紫式部は人間の心の闇も描く人なだけに、闇堕ちした道長とだけに片付けてはいないような気がしていて、元々誰にでもある闇、、伊周や道長の闇を見て、「人間全般の心の闇」を思い、無意識に涙ぐんだ、、というように解釈している。多分、式部は自身の中にも同様に、闇を自覚していたはずだ!
その到達点で、今日書いてきたことの前半と後半は一致すると思ったので、並べて論じてみました。
戻ると、もしあなたが不運にも濡れ衣を着せられるハメになった時は、被害の段階を最小限に留めるよう、工夫してみて下さいね。
そのコツの一端を綴ってみました♡
怒りで身体まで病み、薬やなんやらのコストをかける第2段階目には、なるべく進まずに済みますように!