先頃放送のEテレ「世界サブカルチャー史 地政学ジャポニズム編1」を見て思ったことが今日のテーマ。
ちょっと真面目な文化論を!?
この番組中、黒澤映画が海外でウケた為これからはその路線で、さらに「フジヤマ ゲイシャ」も織り込んで行こう と配給元が方針を決めた という話があった。これには、現に黒澤監督自身さえ戸惑いを感じた という。海外の人にとってはそれが日本だと思ったとしても仕方ないだろう。そう売り込んだのだから、、。一方で同時代、日本国内では小津(安次郎)映画に代表されるような「情緒」が日本らしさとして実感されていた。
イメージとしてはかなり真逆なのだ。
また、「日本らしさ」の元を引っ張ってくる時、どの時代のどの状況か?庶民なのか?貴族なのか?によっても違うだろう。
また、「衣食足りて礼節を知る」とはよく言ったもので、例えば戦後ドサクサの時代を海外の人に切り取られて、これがホントの日本人と言われたら、ショックだ!
有名な話で、「パリを見てそれがフランスだと思うと違うよ」ということはよく聞く。
海外の国ともなると、このように、作られたイメージ一択になることもあるものだ。
このことを大きく引き伸ばして、現代では、当の日本人自体が「日本らしさ」「日本文化とは?」にどういうイメージを持っているのだろう?と思った。
卑近だが自分の場合、やはり親(母)の影響は大きく、箏の先生をしていたため、関連の和文化に繋がるものを「推し」にして教育されたことは影響あると思う。
でも旅先などで、柳田國男さんではないが、より素朴な民俗文化的なものに接すると、そこにもやはり「日本らしさ」なるものを感じてきたし、夕方5時に流れる(自治体の)童謡のオルゴールにも、ジワッと日本を感じてもいる♡
では再度、自分たちの日本のイメージはどこから来るのだろう?
自分自身と育児のダブル体験から漠と感じることは、親や小学校時代の教育環境(先生や友達との交流)は、まずは大きい影響を及ぼすような気がする。
そしてそれからのちは、、?
結局、触れていく文物、情報を元に、こうあればいいなという願望や幻想からくる「自分なりの日本らしさ」がイメージの核となっているような気もして、突き詰めるとかなり曖昧なようでもある!
ある人は、「優しさ」だといい、ある人は「強さ、逞しさ」だというかもしれない。
この番組を見て、そんなことをツラツラ考えてしまった。
情報に溢れ、それこそ多様化が進む今後は、らしさを探る意義の行方も含め、日本に限らず世界各国でも、己のアイデンティティを探る際、個々人の持つイメージはお互いにだいぶ変わっていくのかもしれないね。