学祭の演奏会で貰ったパンフレットで、ラフマニノフピアノ協奏曲第2番(第1楽章)を弾いたEさんによるコメントを読み、興味深かった。
それによると、ラフマニノフいわく、
「昔の自分の作品を見ると過剰な物が目立つ、、」
との認識から、後年、この曲を120小節も短くしたそうだ。
‘ラフ2 ‘ と呼ばれるこの名曲は、ベタだがやはり私も大好きなので、まさかそれが、ずっと温められ、後にも書き直されていたとは驚きだった。
(肝心のEさんの演奏は、前日だったので聞けず残念だった。こういう指摘ができる方だけに、さぞ趣ある演奏をされたことだろう♡)
絵画の世界でも、山田五郎さんの動画で聞いたが、例えば、ダヴィンチのモナリザも本人が生涯何度も加筆していったのだという。
文章を書く作業にも、当然推敲がつきものだ。
ラフマニノフ、ダヴィンチの流れに並べるのは恐縮だが、ブログに上げる文章でもそうなのだ!
基本、数日寝かせて読み返したりしているが、勢いで書いた文の起結が通ってなかったり、論理が飛躍していたりするのに気づき直すこともある!
リズム感のある読み易い文になっているか?とか、、
また、外出中、歩いている時などに、
「あそこの助詞は、変えよう」
などと思いつくこともww
サッカー・アーセナルの(シーズンを通した)試合観戦記を、半日後までにアップするというルールを自分に課した時は少し例外で、期限のある中での推敲となった。
勘違いで事実が違うこと(例えば、試合の時系列が逆の記述とか人の名前の勘違いなど)を書いてしまうのが自分にとっては一番恐ろしく、後で慌てて訂正更新したことは、冷や汗の経験である!
仕事として常にこの作業をしている「夜討ち朝駆け」と言われるプロの新聞記者などは、一層緊張感があって、結果、腕が上がっていくのだろうね!
一方で、作品は推敲を重ね過ぎて新鮮味が失われていくということも、恐ろしいことだ。
件のラフマニノフの楽譜も、初稿と後のものでは、案外どちらにも良さがあって、後世の人の好みは分かれているという。
また、美文や美声による歌が、必ずしも心を打つとは限らないということもあるし、、
ブログを始めよう!と思って書き始めた初期の頃の文を読み返すと、今ならそうは書かないような書き方に出くわす一方で、書こう! と思った勢いとか情熱みたいなものがそれなりに伝わり、我ながら愛おしく(w)、敢えてそのままにしている‼︎
文にも息吹のようなものがあるようなのでね♡
総じて感じることは、作品とは、音楽であれ絵であれ文であれ、作者の熱意の上に、一定以上の技術が伴うことが理想的なのだろう。