ルパン三世 & something

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映画「シェルブールの雨傘」の不可解シーン / カトリーヌドヌーブの貫禄

フランス映画「シェルブールの雨傘」は、カトリーヌドヌーブの可憐な美しさが際立つミュージカル作品だ。(以下ネタバレ注意)
カトリーヌ演じるジュヌヴィエーヌ(Jとする)の恋人ギイは、アルジェリア戦争に駆り出されることになり、出征の日の前日、2人は涙の一夜を共にする。

そして、別れの日、 “mon amour “ “Je t’aime … “と、愛する2人は、あの名曲を歌いながらホームを歩き、ギイは列車へ、、。
と、そこまでは美しく涙そそるのだが、列車がそう遠くも行かないうちに、Jはくるっと踵を返して割にスタスタ(?!)と歩いて、そのまま駅舎に消えていくのだ!

以前、このシーンを取り上げて、みんなで「わからない、わからない」と言っている番組があった。その時の出演者の一人で、俳優の寺脇康文さんが「あそこ、せめて振り返って欲しかったなあ」と言っていたのが、面白かったw


さて、わざわざ曲が終わるまでの尺をとってまで、この演出でこのシーンを流した本作の演出家の意図は如何に?演じるカトリーヌは?
後の2人を暗示させる? とかそんな安易な意味でもないような気がするのだが、、。
(多分、幸せなことに!)私は、そこまでドラマティックな人生ではなかったためか、歳を重ねても相変わらず、このシーンの不可解さは不可解なままだ!


話の方は、その後、戦争の行き違いで2人は連絡が不通となる。Jの母が経営する傘屋の経営立て直しとJが身籠ったギイとの子も引き受けることを条件に、宝石商の富豪とJは結婚。
復員後、ギイの方も結婚して既に妻と息子もいる。
ガソリンスタンドを営むギイと、今やマダムとなったJは、車で寄った時に偶然の再会をする。
そのラストシーンでは、今やそれぞれの道を歩んでいる彼らの会話は短い、、。

でも、ここのラストシーンの2人の様子は、例の別れのシーンよりは、なんか分かるような気がしましたよ!
私も少しはオトナになったのでしょうか?ネ!


(ここから先は以前このブログでも書いたことがあるが、)カトリーヌドヌーブは、来日時、「徹子の部屋」に出演し、自分のことを「私は、哲学者なので、、」と語っていたのは印象的だ。
そして、徹子さんから「みんなに何かアドバイスを」と求められると、
「自分のことをあまり大袈裟に思わないことね」と、スラっと言ってのけた!
今や、フランスのお歴々が集うパーティでも特別待遇を受ける貫禄のカトリーヌが、そんなことを言うのだ。
その意味は、例えば困難な時などに、必要以上に自分を悲劇のヒーロー、ヒロインに自分で祭り上げない、、とかそういうこと。良い時もまた然り。
以後これは、私も、心に留め置く言葉の一つとなっている。


このようにオトナなカトリーヌドヌーブなので、彼女の中では、ここでモンダイにしている例のシーンは、当時、結構納得づくの演技だったのかもしれないな。
でもやっぱりわからない!
何度生まれ変わったら、その域に達することができるだろうww