ハリポタ「死の秘宝part1」は、これ迄にTVやhuluで何度か視聴している。
本作の終盤、マルフォイ家の広間で、ベラトリックス姉妹らを前に、ドビーが友情の口上を述べるシーンに、この度あらためて感動した。
そもそものハリーとドビーの出会いから、いつもドビーはハリーのため思ってハリーに良かれと思うことをやってくれて、時にそれがハリーを困らせたり、、!
これは、思うに親子や家族間にもありそうなことでもあるねw
そんな経緯がこのシーンではずっと回想されて、その後の悲劇を知っているだけに、なんとも切なくて色々な想いが心に深く蘇るところだ。
「ドビーは絶対殺しません
ドビーにご主人様はいません
ドビーは自由な妖精です
ハリーポッターとその友人を助けます」
「なんと美しい場所 友達に囲まれて
ドビーは幸せです。
友達と一緒 ハリー ポッター、、」
誰にも支配されない自由を手にし、それを誇りに思い、また、大好きなハリーやその友達を救う喜びを何よりの幸せと思えるドビー♡
カッコいいことを言うつもりはないが、自分も後半生に突入し、究極の幸せとは我欲のためより他人の喜びに役立てることなんだろう、、と薄々感じ始めている今日この頃だが、その境地に既に至っているドビーの気高さに感動するんだよね。
よほどの徳高き高僧でもない限り、大方の並の人間は、多過ぎる情報にグラグラしちゃったりして、そこには達せられないのよ〜(泣)。
性悪なベラトリックスの投げた短剣がドビーの胸に刺さって落命してしまうシーンが後に続くが、ハリーの手にしっかりと抱かれたドビーは、最期までハリーに友達としての喜びを伝える。
この辺りは、何度も感動や悲しみの涙に暮れるクライマックスシーンだが、
ドビーにしてみれば、本懐を遂げたという気持ちなのかもしれない、、。
(ハリーや仲間や視聴者は、とてもそんなに冷静にはなれないけどね。)
「ハリポタ」は、ダンブルドア校長が、たとえ、人の生死の危険を超えてでも、成長を促すべく近道を教えず、過酷なまでに真の教育者的な示唆を、ハリー達に課していく物語だとも思っている。
一方で、生物学的にはヒトではないドビーこそが、誰に教えられなくても、実は一番その域に達していて、「一番大切なことのために、危険をかえりみず、清々しく友情を果たす」という風に感じている。
だから、高らかに宣言するドビーのあの大口上がなんともカッコよくて、重みがあるのだ。
せめて、私達はこうべを垂れて、その生き様に拍手を送りたく、大向こうから声をかけたくなるような気持ちになるのだ。