「絆」(きずな)という言葉は、現代ではご存知いい意味。
でも、古文単語では、同じ漢字を当てて「ほだし」と読んで、「束縛」というマイナスイメージのものが、主なる意味となる。
出家を志した時に、家族などの存在がそれを阻むことになる、、なんて時によく出てくる思いらしい。今でも「情にほだされる」などと使う動詞では使われていて、時に、それが為に苦労することがあるよね。
人の世は「きずな」でグループが出来上がっても、時に次第にヒエラルキーが形成されがちなもので、よほどデキタ人物が上方にいないと、下方は「ほだし」でいい迷惑にもなるんだよねえ!
「きずな」という美名の下の呪縛!!
狭い例では、家族などでもそういうことになる場合があるね。弱い立場の子供は大変だ。親の家庭運営には、コレ気をつけなきゃいけないね。
絆が、「きずな」に振れるか「ほだし」に振れてしまうかは、結構難しい塩梅かもしれない、、。
「ルパン三世」のル次ゴの関係は、「きずな」によって、お互いを助けることもよくある一方、「ほだし」は断ち切って、銃口さえ向けることもある。この場合は、絶妙な手加減を入れたりしているが、、。
福沢諭吉の建学の精神「独立自尊」は、個人的には気に入っていて、グループ形成に意識したい感覚で、絆を「きずな」にして「ほだし」にはしないための大切な心構えになると思う。
ルパン達は、個々が強くて自立しているから、付かず離れずの大人の関係を保って尊重し合い、うまく機能しているんだろうね。
そういう距離、いいなー!