この妙な組み合わせは、私が幼心に傷ついた、小説「小公女」の2つの場面のこと。
話の冒頭、セーラがお世話になる寄宿学校「ミンチン女学園」の校長ミンチン女史は「魚のような冷たい目をしていました」という叙述に、幼い時、身を固くした思い出がある。以来、今でもよく、魚屋さんとか食卓で、魚の目をふと観察してしまう。
なるほど、無表情だ。怖いネ。これが人間にくっついていたらイヤだなあ。
セーラが、屋根裏部屋住みの小間使いにされた後、みんなの洗濯物をどっさり入れた重そうな洗濯カゴを、両手で引き上げながら歩く「挿し絵」が、目に焼き付いている。セーラの境遇の変わりようがショックだったな。
子供向けの小説には、適度に挿し絵が必要で、その絵をを手がかりとして記憶に引っかかっていくようだ。
おかげで、家で洗濯物が多い時は、自虐気味に「小公女セーラみたい、ハァ〜」とか言いつつ、プワ〜ンとあの絵を思い浮かべ、実際よりも重そうに洗濯カゴを持ちながら、ベランダへと部屋を横切る自分がいる!
「小公女」の著者バーネット女史は、19C半ばのイギリス生まれ(16才からアメリカへ移住とのこと)。
後に、米英を舞台にした「小公子」を書き、数年後に書かれたのがこの「小公女」で、舞台は同時代のイギリスだ。
この小説では、リアルタイムの英国の社会状況が垣間見れると共に、逆境の展開にも汚されないセーラの気高さに脱帽だ。