ルパン三世 & something

ルパンを語って微笑みを届けたい  他にも気ままに綴ってます♡

最後は“稲妻芸” from「五右ェ門の復讐」「鷲の舞い降りる時」


「五右ェ門の復讐」や「鷲の舞い降りる時」では、敵が稲妻に撃たれて果てる。


どちらも、ルパン達が窮地に追い込まれて、見る側も、 どうなっちゃうのかな と思うシーンで、その手があったか! という結末。でも私は、こういうの嫌いじゃないです。人智を超えたところでの、まさに「最後の審判」という感じで、神罰や天罰が下るというものだ。しょっちゅうだと布教活動みたいになってなんか方向が違ってくるけれど、たまには、ルパン達にも手に負えないところに、大いなる存在からの助けが入るというのもあっていい!


いつも、ルパン達は技量が並じゃないので、最後は、鮮やかにそこを駆使して敵を倒し、見ている方もそれを楽しんでいる。だが、時にこのような危機一髪の時の「稲妻芸」で救われるのは、彼らも視聴者も、もう一度自分に立ち戻るきっかけになったり、自力だけではない何かへの感謝に気づく機会となって、いいね♡
考えようによっては、ビルや戦車を真っ二つに切る斬鉄剣芸よりも、案外、実現性は高いなw
それが、単なる偶然の自然現象というわけでないにしても、、?!


特に「五右ェ門の復讐」の方は、窮地の五ヱ門が投げた斬鉄剣に、師匠の自然(じねん)先生の魂が稲妻に宿り、敵の人九郎を倒した。


助けられた五ヱ門は、雨の中、「先生、、」って泣いていたね。
あらためて、師匠の愛を感じていた。
見守るルパンや次元もね。

五ヱ門のキュートなドヤ顔、必見!from「カリブ海の大冒険」

中南米が舞台のこの作品の後半で、黒魔術教の神殿に侵入したル次ゴは、次々に仕掛けに襲われる。早速大きな石が転がってきて、それをゴエが斬鉄剣で切った後のドヤ顔は、カッコいいというよりキュートさが、目を惹くレベルだ。うっすら口角まで上げて、カメラ目線で直視、なんてチャーミング!
あんな表情見せられたら、ルパンや次元もどう思うだろうね。まさか母性本能がくすぐられてたりしてネ!
ほんのワンシーンだが、このショットのありかをお知らせすることは、ゴエファンに、私、誉められると思ってます!!


この後も、色々な仕掛けに苦心する3人のマンガチックな(漫画だが)絵が続いて、楽しめる。本作は、(特に後半が)基調、ギャグですネ、面白いです!

ルパンが、タイトルの字幕を「タイトル」とコールする珍しい始まり方。その先の楽しさを暗示させる。
それに、不二子への呪いをルパンが引き取るところは感動だね!


ル次ゴが神殿を攻めあぐねていた時、
「もちろん決まっておる。Let’s go の一手あるのみ!」
と珍しく、ゴエがル次を鼓舞したり、他にも漢方薬を作ったりと、本作ではゴエも何かと前向きだったのが印象的。


お宝は、神殿の本尊の大きな一つ目「ジャンボ・ルビー」。これには馬酔木のエキスがたっぷり塗ってあり、それを目掛けてハミングバード(ハチドリ)の大群が、持ち主を襲っていく。呪いがかかった高熱の不二子を治すためにゴエが作った祖母伝来の漢方薬は、結局飲ませなかったものだが、大ミミズの出し汁で「ジリュウトウ(滋竜湯)」。勝手にこの漢字を当ててみたが、多分、これでいけてると思う!


この作品は、色々な動植物の毒性や習性、効能 が登場するミステリアス&エキゾチックな回でもあった。

追記:
早速、責任を感じて、漢方薬ググってみたら、地竜 という生薬がありました。
本当にあった薬だったのですね。
よって、「地竜湯」と思われます。お詫びして訂正します!!

ルパンとマモー from「ルパン対複製人間」

(ネタバレあり また、以下の内容の一部はTV放映時カットされていることあり)

ルパン三世」における人気者、一連のマモー。
part1の魔毛狂介の魔毛といい、本作のマモーといい、ルパンではお馴染みの名前なのだ。
このマモー達は結局、ヤバイ思想の上に立脚し、かつ先端の科学技術に行き過ぎて取り憑かれてしまった狂人みたいだネ。


マモーは、複製するに足ると認めた人を次々にクローン化していく という随分と勝手な論理の持ち主。
マモーはルパンの脳に興味津々、夢の中身を覗いてみた。

表層の潜在意識の映像は、銭形やセクシー不二子、キャンディー大好きな子供みたいな心、、でもここまでは何も覗かなくても知ってたな、私でも!
そして、より深層を掘り下げると、、なんと「無」
まるで仏教で言うところの「空」
(それともこれぞまさに、色、即是空かなw)

道理で、ルパンは人間離れしていると思ってた。もちろん彼自身にそんな自覚は無いし、ゴエみたいに修行しているわけでも無いのにね。在野にも、稀にその域の人っているんだなってマジで感心したw
それが、ルパンだ♡
マモーはこのことに驚愕していたが、この分だとマモーの方の深層心理は多分真逆で、相当ドロドロしてるのだろう!


最後、マモーの正体が「心」では無く、「脳」だったことが象徴的だった。
「温かなハート」を置き去りにして「どこまでも頭で考えるだけ」なところは如何にもマモーらしいが、そこが彼の限界でもあった。

サッカー: デンベレ、グリーズマン問題の深掘り

このブログでは、私がサッカーファンでもあるため、時折、サッカー選手の話題を語ったりしている。サッカー選手、デンベレグリーズマンが来日の際のホテルの部屋での動画が問題になっているのはご承知の通り。
私もそれを見た時、もちろん不愉快な思いになった。各種記事や書き込みを読んだりもした。強烈に批判するものからソフトなものまで。

数日前に起こったこの問題以来、思い返してみては、自分自身も心が縦に横に揺れたが、同じ土俵でやり返すのは何か違うな という感じはあり続けた。


失礼な発言をしたデンベレと同調して笑ったグリーズマン。まあ、同罪だろう。テレビ(ゲーム)の技術者達を指して、(日本人は)醜いとか、技術が低いとか、、。
でもよく分析すると、デンベレの身勝手な批評は外見と才能についてのもので、そこに、彼の(無意識レベルでの)価値観の優先基準が読める。
一方、技術者達には、仕事とは言え、一刻早くセットしてあげようという ‘真摯な心’ があったよね。
デンベレ達は、ここに気付かないし、気付くはずもなかった。


思うに、彼が今の地位を築くまで、外見と才能について、たくさん嫌な思いなどを経験し、そこだけに一生懸命意識を向けてきた人生だっただろう。
時にマウントを取り合って、、。
彼らに限らず、大なり小なり、今の世の中は、そこに大きく価値が置かれてしまっているからね、、。
大きく見れば、心を置き去りにしたのは彼らだけじゃないだろうし、人間全体の問題かもしれない。
罪を憎んで人を憎まず!


今回、図らずも彼らの標的にされてしまった私たちだが、人間の一番大切な価値であるところの ‘心‘ まで否定されたわけではない。


「衣食足りて礼節を知る」という諺があるが、全世界の人々に 「心を見て」と要求するのは、ある意味、酷かもしれないね。ただ、デンベレ達は、もうイッパシの地位を確立し、衣食も十分足りてるよね。今回、みんなに非難されて、仕事にも影響したりでかなり凹んでいるかもしれない。けれど、彼らにここで、外見や才能よりもっと大切な ‘心’ ‘ 思いやり’ の尺度に是非気づいてもらって、そこを掴んで復活して欲しいと思う。彼らの気付きに期待する。

今回批評された側として彼らに言えることがあるとすれば、そこ。
マウント合戦に参加し続けるより、彼らも心が楽になると思うんだ。
インフルエンサーたるお2人なんだから、その価値観も加えて、大きくステキに生まれ変わり、次世代に魅力を伝えていってほしい。


最後に宣伝しちゃうと、「ルパン三世」は、デンベレ同様?!、世間的に言う優等生 と言えるタイプの人間ではないが、強くて、才能があってなお、‘心’ を大切にする人だから、ただのヒーローではなくて、スーパーヒーローなんだよ♡

次元、緊迫の狙撃戦  from「7、62mmのミラージュ」


次元の魅力を語るのに、この回を外す訳には行きません。20分近く、次元の緊迫感と苦悩を共有できます、ツカレマス、痺れます!
スタッフのきめ細かい作り込みに気合いを感じます。
来ましたネ、こういうの、、PART 5で。

なお、7、62mmというのは、銃弾の長さのことです。(それ以上は、ご自分でお調べになって!!)
そして、当然、作品のタイトルにも ‘気合い’ 入ってます。


風見鶏の十字の風受けが、くるくる回る。この狙撃戦は、風も計算に入れなければならない。そして、次元の方が入れなけれならない計算は、もう一つ多い。相手は次元を撃つだけが目標だが、次元の方は、あくまで相手を殺りたくないのだから、、。次元の気持ちでは、致命傷は敢えて外さなければならないのだ。腕前が優っていないとできない芸当だ。
最後の刹那で、狙いすまして、相手の小さなボルトハンドルを弾き飛ばし、勝負あり。
次元をして「5年は寿命が縮まった。」と言わしめた狙撃戦は終わった。


狙撃の相手は、魅惑のグリーンアイズとスナイパーの凄腕が母譲りの、娘だ。美しい母ミラージュは、次元の元傭兵仲間。おそらく、友達以上恋人未満の間柄だった。そして、2人の心は通い合っていた、、。

かつて次元は、娘を身籠っていた母ミラージュに「銃を貰ってやろうか?」と提案し、ミラージュは断った。だが、娘には、彼は今度は積極的に、「命の代わりに頂いていく。」と銃を取り上げ、他の道を行くよう仕向けた。母と同じ苦悩を味わわせたくなかった。
「(病の母には) 捨てたと言いな。わかってくれるだろう。」 と告げて、、。


本作の途中、頭上で銃声飛び交う中、次元の腕前を信じて、悠々と、敵とのチェスに取り組むルパン。次元への信頼感は半端ない。
最後、自分とミラージュの2丁の銃を背負った次元に、「持とうか?」とねぎらうルパン。
「これは、俺が背負って行くよ。」と、次元。


母娘2人のミラージュの、重かった十字架を引き取るのは、次元の役回りなのだった。

別れの手、、、映画「旅情」のK・ヘプバーンと「ヘミングウェイペーパーの謎」のマリア

別れの手の演技が、言葉以上に心情を語る作品がある。

映画評論家の故淀川長治さんが、一番好きだった女優はキャサリン・ヘプバーン
映画「旅情」のラストシーンで、離れ行く列車に乗っている彼女は、彼に別れの手を振る。最初は、駆けつけた男に対して自分をわからせる為、次は、彼が掲げた2人の思い出の花を確認した時、最後はホントのさよならを表して、、。この3段階の心情を、手の動きで見事に表現していたと絶賛していた。
知性を感じさせる上にエレガントな“大人の”女優さんだった。


テレスペ「ヘミングウェイペーパーの謎」のマリアも、ラスト、手で銃の真似をして、去りゆくルパンの心を撃ち抜いていた。粋で爽やかな別れだ。ルパンに恋した女子達は皆、別れ方がうまいが、このマリアは中でも印象深い。ルパンのような「おしごと」の場合、彼女らは敵の人質に取られて彼に迷惑をかける可能性もある。この恋は、時が来たら自ら離れる という思いやりとセットなのが宿命だろう。(エンゾいわく)ルパンはヒーローだから!
粘着型とか執着型とか「〜着型」の女子には、この恋は向かないみたいだネ!


映画の方のタイトルの、少しウェットなイメージの「旅情」というのは邦題。
一方、原題は「 SUMMER TIME 」という軽やかなもの。
意図的にも、タイトルに感情は込められていないのだ。
粋も甘いも心得た大人の女性の、ひと夏の恋、、くらいの軽みが、コンセプトに近い。


ルパンの女達にも、抑制の効いた大人の心持ちが求められているように思う!

本質を受け取る、、ということ


ルパン三世」を、もしもナナメから見る人がいたら、
そもそも家業がドロボーということ、斬鉄剣が一太刀でビルをも切れちゃうこと、ルパンやゼニが(逃走や捕獲の為の)大きな装置を何故かその場でこしらえること、、などをマイナスに指摘するかもしれない。

でも私は、これらは全て、イイタイコトをダイナミックに伝える為の「仕掛け」だと解釈している。「常識的」とか「倫理的」とかいう枠をはめると、こじんまりして、面白みやエンターテインメント性に制限がかかる。説得力まで弱くなってしまう。敢えて、お行儀は宜しくない「ルパンファミリー」がいいと私が思うのも、そこに通じている!

音楽もそうで、作曲の大野雄二さんは、テーマ曲の演奏に敢えて破格な奏法をOKとしたそうだ。その方が、自由なルパンらしいから。管楽器など、時に音が上振れたりして型にはまらず、派手に自由に吹いていて、それ程に「勢い」の方を大切にしているのだ。だからこそ、’本質’ が受け取り易くなっている。

付け加えれば、キャラクターデザインがシリーズごとに違ったりしても、私はあまり気にならない。その作品の言いたいことは何か、そのキャラの心は何を語るのかを観たいからだ。そこに、より興味がある。

関わったスタッフさん達が情熱を傾けて作った作品で、何を伝えたかったのか、どう楽しませようとしたのか、その本質(エッセンス)をしっかりと受け止めたいといつも思う。

ルパン三世」の楽しみを、そこに見ている。もちろんこれからも!